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▼成功のための名言・格言

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▼ユダヤの名言・格言

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▼成功者の名言・格言

松下幸之助(電気への憧れ)
早川徳次(逆境の人生)
本田宗一郎(不可能への挑戦)
菊池武範(冷たいご飯)


▼古代中国の歴史・故事

己を知れば百戦危うからず
臥薪嘗胆
士は己を知る者のために死す
刎頚の友
「鴻門の会」
狡兎死して走狗烹らる
竜が沼の淵に潜むは・・・
死せる孔明、仲達を走らす


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▼極地へのあこがれ

アムンゼン
マロリー
ヒラリー
ペアリー


「鴻門の会」(こうもんのかい)



秦大帝国の末期
多くの人民は強権で支配する秦の終焉を心から願っていました。

そんな中、名もない農民たちが秦から召集を受け、遠い目的地へ向かっていました。
しかし、土砂崩れに遭い、期限まで間に合いそうにありません。
期限までに間に合わなければ死刑。間に合っても多くは過酷な労働で死ぬ。
それがこの農民たちの運命でした。
しかし、この農民たちの中に一人、この運命を変えようとした男がいました。
その名無しの農民は後に陳勝と呼ばれます。陳勝は友人の呉広と一緒に監守に切りかかり
反乱を起こし、農民たちに呼びかけました。
「どうして王や皇族に特別な血が必要なのかと」
不満を持った多数の農民が陳勝の後に続き、地元の役所を制圧。
次第に勢力を広げていきました。
そして旧楚領の都市、陳を中心とした「張楚」という国を建て、
陳勝は農民として歴史上最初の王になります。

陳勝の蜂起に触発され、旧楚領の片田舎、沛県の役所に勤めていた名もない劉邦や
楚が滅ぼされる最後のときまで、秦に勇敢に立ち向かっていった楚の英雄、
項燕(こうえん)将軍の孫、項羽も秦を倒すために立ち上がります。
劉邦は身分は低かったのですが、人望の厚い、人から好かれる男だったので、
彼が立ち上がるとの知らせを受けて旧友を中心に多くの人々が集まってきました。
劉邦と一緒に行動を共にしたのは、役所時代からの友である蕭何(しょうか)と
こちらも地元の仲間で力自慢の樊かい(はんかい)
そして、秦に祖国(韓)をほろぼされたうらみをはらさんとする(テロリスト)張良。
兵は千人にも満たない雑兵の寄せ集め軍団でしたが、
みんな劉邦の人柄に惚れて集まってきた人たちです。

一方、楚の英雄、項燕将軍の孫の項羽は、戦死した父に代わって育ててくれた、
おじの項梁(こうりょう)と一緒に数千の大軍を集めて旗揚げしました。
そして、秦の力で野に追いやられていた楚の王族の血筋の者を探し出し、
楚王を復活させました。
(権力者は、古くからその地を収めている王家の血筋のものを形式上王として
実権は自分が握るというのがこの時代のやり方でした。)

楚王は項羽と劉邦に秦の中央政府がある関所(函谷関)を最初に通過(関中入り)したものに
関中王を与えるので、お互い別々のルートから函谷関を目指すよう命を出しました。
(「関中を征する」というのはわかりやすく例えれば、日本の戦国時代の京都を征するのと
同じようなことです。)
数千の兵を持つ項羽からしてみれば、劉邦の雑兵軍団などなど眼中にもない存在だったため
絶対勝つと言うことを前提にして楚王の命を受け入れました。

仲間にはやさしいが自分に歯向かうものは一切許さなかった項羽は
降伏してきたものも皆殺しにしたため、
敵兵はたとえ最後の一人になっても城にこもり死ぬ気で向かってきました。
逆に、劉邦は反秦勢力を積極的に仲間にしていき
極力、戦うことは避けたため、無傷で城を通過できることがほとんどでした。

結局、先に関中入りをしたのは劉邦の方でした。

酒と女が好きな劉邦は、関中入りしてすぐに、大宴会を開こうと計画しますが
皇帝に成りたければ酒と女に溺れていてはいけないと張良に諭されます。
このときの「忠言は耳に逆らえども行いに利あり。良薬は口に苦けれども病に利あり。」
という言葉が後に「良薬は口に苦し」という故事になりました。
また、蕭何(しょうか)は、秦帝国の天下の宝物が詰まった宝物庫にすべて鍵をしました。
こういうものがあったから秦は滅びたのだと。
代わりに地理や科学、先人の教えが書かれた書物はすべて持ち出しました。
これこそ我々に必要な真の宝であると。
(蕭何(しょうか)が宝物庫にカギをかけたことは後に鴻門の会で劉邦に野心がないと
項羽を納得させる大きな決め手となります。)

劉邦が天下を取ることができた大きな要因は、優秀な家臣を多く持っていたことです。

楚王の約束では最初に函谷関についたものが関中王のはずでしたが
数で圧倒的に勝る項羽軍は、劉邦軍を攻め滅ぼして亡き者にしようとしていました。
項羽のおじの項伯は、劉邦陣営にいる親友の張良を助けるため
夜密かに抜け出し、劉邦陣営にこの情報を伝えました。
とてもかなわないと思った劉邦は、自分には最初から関中王の野心は全くないと
いうことを、項羽陣営に出向いて説明することを約束しました。
そこで、項羽陣営では、話し合いの場(酒の席)が持たれることになったのです。
これが有名な鴻門の会です。

項羽軍の司令塔・范増(はんぞう)は、劉邦を最大の脅威であると感じ、
酒席で討たせて殺すつもりでした。
しかし、項羽は敵には命乞いをするものまで切るほどきびしいが、
身内には怪我した兵士を自ら見舞うほどやさしい男だったので、
自分を項羽様としたい、完全に下手に出ている劉邦を殺すことはできませんでした。
范増(はんぞう)は隙を見て、劉邦を何度も刺客に討たせようとしましたが
力自慢の武将、樊かい(はんかい)が命がけで劉邦を護衛しました。
劉邦は、酒席の途中気分が悪くなったとトイレに向かう振りをして逃げ帰りました。
劉邦におだてられていい気になっている項羽を見て、范増(はんぞう)は大きく失望しました。

それから劉邦は、中央から大きく西に離れた山奥の僻地「漢中」の王に任命されます。
漢字の読み方が「関中」も「漢中」も「かんちゅう」には変わりないという理由なのですが、
要するに、項羽の圧力によって僻地に飛ばされたのです。
しかし、この「漢中」の地こそが600年の栄華を誇る「漢」の国のはじまりとなるのです。


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