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■■■ クロード・モネ  (Claude Monet, 1840年11月14日 - 1926年12月5日) ■■■

モネ「睡蓮」 S8号 松方コレクション モネ「睡蓮」 S8号 松方コレクション
国立西洋美術館所蔵の逸品です。モネの代名詞ともいえるモチーフ「睡蓮」。数多い作品の中でも本作はもっとも「日本庭園」の色合いが強く、それはモネ自身の日本への憧れの大きさの表れでもありました。

モネ「睡蓮」 モネ「睡蓮」
「私は鑑賞のために睡蓮を植えた。ところが突然、庭の池が妖精のような夢幻的な姿を表わし、それ以来他のモデルは描かなくなった。」モネは20年以上も睡蓮を描き続けました。
モネ「パラソルをさす女」 モネ「パラソルをさす女」
逆行気味の陰影につつまれ、パラソルの受ける光で日の高さがわかるような明るさと繊細さを表した絵です。モネが住んでいたジヴェルー二は、エジプト、セーヌ両河の合流する平野と丘陵の土地で、豊かな自然と移り変わる色彩に満ちており、多くの画題を提供しました。
モネ「アルジャントゥーユのヨットレース 」 モネ「アルジャントゥーユのヨットレース 」
アルジャントゥーユに家やボートを持っていたカイユボットに誘われ、モネは1871年から8 年間ここに住みます。セーヌ川のボート遊びや船にアトリエを作って川の上から両岸の風景を描いたり、ヨットなど川の風景も多く残しました。印象派の仲間たちもここに集まり印象派運動の「アルジャントゥーユ時代」とも云われています。
モネ「リンゴの入った籠 」 モネ「リンゴの入った籠 」
モネは1883年にジヴェルニーに家を借りて移り、後にその家を買取って永住します。この時期の彼はノルマンデイーや南仏各地を転々として、精力的に制作に取組みました。この絵はソュエル家のサロンの戸口の装飾パネルとして描いたもので、多くの花や静物が残されています。
モネ「アルジャントゥーユの橋 」 モネ「アルジャントゥーユの橋 」
モネがアルジャントゥーユ近郊に住んでいた時期に描いた作品。写生に重点を置いており、印象派的なタッチと写実的なタッチの両面が楽しめます。
モネ「ひなげし」 モネ「ひなげし」
モネは、ひなげしの咲く野原を散歩する妻のカミーユと息子ジャンを描いています。日の光と暖かい草の香りが匂い立つような作品です。
モネ「睡蓮・水の風景」 モネ「睡蓮・水の風景」
モネは、1898年頃からジヴェルニーの自邸の池の睡蓮を、とりつかれた様に描き始めました。
モネ「印象・日の出」 モネ「印象・日の出」
1874年モネ、ルノア-ル、ピサロ、ドガ達は、官展に嫌われた若い仲間を集めてグル-プ展を開きます。出品されたこの絵を引用して批評家がこのグル-プを「印象派」と名付けました。この絵がなければ印象派という言葉が生まれなかったという一枚です。
モネ「ウォータールー橋(煙る曇り日)」 モネ「ウォータールー橋(煙る曇り日)」
ロンドンでのお気に入りのモチーフは議事堂とチャーリング・クロス橋、ウォータールー橋でした。

◆庭が自分の「最高傑作」

クロード・モネ (Claude Monet, 1840年11月14日 - 1926年12月5日)は印象派を代表するフランスの画家。「光の画家」の別称があり、時間や季節とともに移ろいゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した画家であった。

1840年パリに生まれる。5歳の時、一家でノルマンディー地方のセーヌ河口の街ル・アーヴルに移住した。モネは少年の頃から絵画に巧みで、十代後半の頃には自分の描いた人の由来となったことはよく知られている。なお、一般にはパリのマルモッタン美術館所蔵の『印象、日の出』が、この時の出品作だとされているが、これには異説もある。すなわち、マルモッタンの絵は実は「日没」を描いたもので、第1回印象派展に出品された『印象、日の出』は別の作品だとする見方である。 [[物の戯画などを地元の文具店の店先に置いてもらっていた。そうした戯画が、ル・アーヴルで活動していた風景画家ウジェーヌ・ブーダンの目にとまり、彼らは知り合うことになる。ブーダンはキャンバスを戸外に持ち出し、陽光の下で海や空の風景を描いていた画家であった。ブーダンと出会ったことが、後の「光の画家」モネの生涯の方向を決定づけたと言われている。

モネは1860年(1859年とも)、20歳頃、パリに出て、アカデミー・シュイスに学び、ここでピサロらと知り合う。2年間の兵役を経て1862年、グレールのアトリエに入り、ここではシスレー、バジール、ルノワールらと知り合っている。1870年、普仏戦争を避けてロンドンへ赴くが、ここではイギリス風景画の第一人者ターナーを研究した。

1874年、パリで開催された第1回印象派展には『印象、日の出』(1872年の年記があるが、実際の制作は1873年とされる)を出品。この作品が「印象派」という名称の由来となる。

1876年の第2回印象派展には日本の衣装を着けた妻カミーユをモデルにした『ラ・ジャポネーズ』を出品している。これは、風景画家モネによる人物画の大作として注目される。なお、カミーユは1879年、32歳の若さで死去している。

モネはセーヌ河流域のアルジャントゥイユ、ヴェトゥーユなどで制作した後、1890年、パリの西約80kmの郊外にあるジヴェルニーに土地を購入。以後、没するまでこの地で制作を続けた。モネはジヴェルニーに睡蓮の池を中心とした「水の庭」、さまざまな色彩の花を植えた「花の庭」を造った。パリ郊外の観光名所として多くの人が訪れるこの庭自体が、自分の「最高傑作」だと画家自身が言っていたという。

モネは印象派グループの画家のなかではもっとも長生きし、20世紀に入っても『睡蓮』の連作をはじめ多数の作品を残している。ルノワール、セザンヌ、ゴーギャンらはやがて印象派の技法を離れて独自の道を進み、マネ、ドガらはもともと印象派とは気質の違う画家だったが、モネは終生印象主義の技法を追求し続けた、もっとも典型的な印象派の画家であった。



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